黒酢の歴史

黒酢の基礎的な知識として「黒酢の歴史」について、その効能や仕組みをはじめて黒酢を摂り入れる方にもわかりやすくガイドしています。

歴史の古い黒酢

私たちにとってお酢は今や、調味料としても健康食品としても欠かせない存在になっています。
黒酢が健康に良いとされブームになったのは近年のことですが、その歴史をひもとくと、はるか昔から根付いていたことに驚かされます。

ここでは、黒酢の歴史についてご説明していきます。

お酢の起源

そもそも、日本のお酢の起源は、縄文時代前期までさかのぼります。
もとは、木イチゴなどの果実酒を放置していたところ、いつの間にか酸味を含んでいたことが始まりとされています。

その後、弥生時代になると米づくりが始まり、穀物の種類も増えました。
奈良時代にお酢づくりの職人が渡来したと言われ、その後に本格的な製造が始まったとされています。
平安時代にはお酢の種類が増え、室町時代になると調味料として料理に使われるようになりました。

もともとお酢は、アルコールに酢酸菌が発酵してできたものですから、お酒と深い関わりにあります。
世界で様々なお酒がつくられるのと同じように、各地の農産物を原料にして海外でも多種多様なお酢がつくられてきました。
そのため昔から、調味料として活用される以外にも、ギリシャでは病院でお薬として使ったり、中国では漢方に用いられたりと、世界各地でその健康効果が認められていたようです。

黒酢の歴史

ここでは、伝統ある鹿児島県福山町の黒酢(壺酢)の歴史をご紹介します。

黒酢は、近年の健康ブームによって急激に注目を浴びましたが、その歴史は非常に古く、日本では1800年代、江戸時代後期ごろからつくられ始めました。

発祥の経緯については諸説あります。

・福山町の商人「竹之下松兵衛」が編み出した説
江戸時代後期に、薩摩商人の竹之下松兵衛が、薩摩半島西側の日置地方に商用で出かけた際、色の付いたお酢を見つけたことから始まったとされています。
当時福山町では、橙(ダイダイ)を原料とする橙酢が製造されていましたが、それに比べ、その色付酢は濃度が高く、風味に優れ、何より、炉のそばで時々温めれば、腐らないことを発見しました。

彼はこれを、気候が温暖で名水に恵まれた福山町で製造することを思い立ちます。
試行錯誤を重ねた結果、薩摩焼の壺、しかも、胴回り・口径・高さ・容積すべてにおいて酢づくりに最適な形のものを見いだし、これを使用した製造方法を編み出しました。
これが「アマン壺」によるカメ壺仕込みの原点になったとされています。

・中国大陸から伝わった説
黒酢は、中国大陸から日本に伝わったものであるとも言われています。
福山町は江戸の藩政時代から重要な商業地として栄えていました。
というのも福山町は、中国や琉球の産物が行き交う物流の中継点であり、大変なにぎわいを見せた貿易港だったのです。

そこに、中国のある商人が渡来し、当時橙(ダイダイ)酢を製造していた福山の人々に「米から酢をつくる技術」を伝えたのが始まりとされています。
ルーツとなる中国の黒酢「香酢」の歴史はさらに古く、3000年以上前からつくられていることを考えると、この説も有力と言えます。
さらに、「アマン壺」の「アマン」はこの黒酢を意味しますが、中国は福建省にある「アモイ港」から来た酢ということで当時は「アモイ」と呼んでいたのが訛ったものだとも言われています。

ほか、中国の商人が、福山の竹之下松兵衛に直接黒酢づくりの方法を伝えたという説もあります。

きっかけはどのようなものだったにせよ、福山町で黒酢づくりが根づいたのは、
・原料となる良質な米が豊富にあったこと
・きれいな水に恵まれていたこと
・年間を通して気候が温暖であること
という、黒酢づくりには最適な条件を満たしていたことによります。

以降、200年経った現在でも、福山町では昔と変わらない伝統製法による黒酢づくりがおこなわれており、国内随一の黒酢の産地となっています。

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